孤立化する空間、物語の関数としての「地下鉄」
はてなブックマーク - 孤立化する空間、物語の関数としての「地下鉄」――『輪るピングドラム』12話と13話の演出詳解: アニマジン

『輪るピングドラム』12話と13話の演出詳解

by Italy亜人

まず本稿は作品の背後で暗示されるコンテクストへの言及ではなく、物語上のプロット展開の関数となったある演出への言及であることを先に表明しておきたい。

先に図式を提示させて頂くとこうなる。

概念図

本稿では上図の概念図に沿って説明していく。

 

改札を抜ける、あのシーン転換における抽象的なショットが、95年の外傷的記憶トラウマの想起によって地下鉄の交通システムが不通になるイメージと連動してシーン間の結合を切断し、空間の孤立化に与する12話に対して、13話は東京スカイメトロTSMの懸垂式モノレール構造が暴かれることでむしろシームレスに空間と空間の繋がりが連鎖していく。

この点に関して12話と13話は対になる。

本作において一貫して描写される「地下鉄」のモチーフが、実際の作中世界の空間と連動し、東京の街並みを細切れに分割しながら表象する様をみていくことにしよう。

「改札」と「電光掲示板」の違い――連辞と範列の類比アナロジー

さしあたってはシーン転換において挿入される二種類のショット――「改札」と「電光掲示板」について言及しなければならない。

前者と後者は、それぞれ「連辞」と「範列」の役割をなす類比アナロジーとして捉えられる。

改札を抜けて案内板が次の行先を示す省略=抽象化されたショットが前後の空間を繋ぐ統合関係に置かれていることは自明である。それに対し電光掲示板は場面を「焦点化されたキャラクター」の回想へと繋ぐ。この物語上の働きは物語論narratologyの用語で云えば(《時間》の範疇に属する《錯時法》のさらに下位範疇である)《後説法》に当たるが、地下鉄の類比はもう少し踏み込んだ洞察を可能にしてくれる。

「改札」のショットは区画の結合関係を暴き、路線図へと結実していくのに対して、「電光掲示板」は一つの区画内の列車の移動をイメージさせる。そして列車は、正規のダイヤに反映されなかった可能性としての潜在的=非顕在的な相互的関係を結んでいるとは言えないだろうか。「電光掲示板」のショットで接続されるのは、あくまでプロットの主流に乗らない非=嫡出子としての「非顕在的な空間」である。そしてそこでもなお顕在化されない潜在的な空間の暗示が、何よりも雄弁に範列的構造を示唆している。

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